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  古代マヤの謎 第1話 

7つの謎と奇跡 1981年主婦の友社発行 より転載

灼熱の大地と鬱蒼(うっそう)たる大森林が展開するメキシコ、ユカタン半島の中部地域北方、母なるウスマシンタ川の支流のオトゥルム流域のジャングル中に連なる小高い丘のふもとで、いま世紀の大発見が行われようとしていた。

果たして古代の宇宙飛行士か

場所はバレンケのマヤの遺跡中、ひときわ雄大にそびえる「碑銘の神殿」である。これは高さ約20メートルの急勾配の石段の上に大神殿を築造した8層の堂々たる階段状ピラミッドで、頂上の神殿の壁面には620個の奇妙な神聖文字を彫り込んだ大石板が人々の目をひきつける。

▲碑銘の神殿
▲碑銘の神殿

すでに4年前からこの神殿内の発掘作業を続けていたメキシコの考古学者アルベルト・ルースは、神殿の床の石蓋を持ち上げて、内部へ降りる石段を発見し、ここに故意につめられた土砂の排除作業をほぼ完了した。石段のつきあたりの左側の壁に3角形の大石板がはめ込まれている。

「これを除けば何かが出てくるぞ!」

ルースは助手たちを督励してジャッキの操作を急がせた。ギギギーツ、メリメリ ― 。大石板は少しずつ外側へ移動し、パックリロを開いた暗黒の縦長の空間が徐々に大きくなってゆく。全身に滝のような汗を流したインディオの人夫たちが大石板を回転させる。

「あっ!玄室だ!」

真っ暗闇の広い室内を強烈なランプが照らしたとき、ルースは叫んだ。

「おお、すごい!あの彫刻を見ろ!」

ルースの指さす方をのぞいた助手や人夫たちもー斉に感嘆の声をあげた。

「天空の神だ!」時は1952年6月15日、午後3時すぎである。一同はどやどやと室内へなだれ込んだ。

この玄室(納骨堂)は奥行き約10メートル、幅約4メートル、高さ7メートルあり、両横の壁はわずかにアーチ型をなしている。ここは頂上の神殿の床面から25メートル地下に位置する暗黒の部屋で、一千年の霊気がこもった不気味な地下墓所なのである。

床には一枚岩をくり抜いた大石棺が安置され、その表面には重量5トンもあると思われる、長さ約4メートル、幅2メートルの大石板が水平にどっしりとおかれている。一同を驚嘆させたのは石の重量や大きさではない。こんな物はユカタン半島一帯のマヤ遺跡にはざらにある。問題はその表面に彫り込んである図形なのだ。なんというすばらしい作品だろう!中央部には1人の人間が横向きにすわり、両手を上方に上げて奇妙な動作をしており、両足の膝を立てて、左足は斜下方に伸ばしている。それを複雑な模様がとり囲んでいるのだ。

これこそエーリッヒ・フォン・デニケンが『神々の戦車』のなかで、古代の宇宙飛行士か?と大胆な解釈を持ち出して、世界のUFOマニアを捻らせた代物なのだ。果たして彼の言うとおりだろうか?

偉大な文化を築いていたマヤ

石蓋はさておいて、棺のなかには何があったか? そこには白骨化した1人の遺体があり、その顔にはヒスイをモザイク状に組み合わせて作った仮面がかぶせてあった。ヒスイ(弱翠)というのは深緑色の硬玉の一種で、古代マヤ族が珍重した飾り石である。これで作った見事なマスクと、その他のヒスイ製品の山に囲まれて埋葬される風習は古代中国にも見られるもので、これからみて、マヤ族は太古にアジアから来たという説も生じることになる。棺のなかに眠る遺体は7世紀後半から8世紀にわたり、マヤ古典期後期におけるバレンケの支配者であったパ・カル王ではないかといわれているが、正体は謎である。

しかし問題はデニケンが疑問を投げかけて一大センセーションを起こした石蓋の絵模様だ。彼は次のように述べている。

「1935年(筆者注=正確には1952年)にほとんどククマツ神とみて差支えない石の浮き彫りがバレンケで発見されたのである。この絵を全くの偏見なしに見れば、どんなに頑固な疑い人でも考え込むだろう。

▲名高いマヤ研究家マーリ・グリーン・ロバートソン女史から筆者に贈られた写真。
▲名高いマヤ研究家マーリ・グリーン・ロバートソン女史から筆者に贈られた写真。原画48×86cm。

そこには1人の人間がすわっているが、体の上部をオートバイ競争の選手のように前に曲げている。今日ならどの子供でもこの絵に描かれた乗物をロケットと認めるだろう。先端がとがっていて、次に吸入孔に似た奇妙なミゾのある刻み目の部分となり、幅が広くなって、炎を噴き出す尾部で終わっている。前かがみの人間は種々のわけのわからぬ操縦装置をあやつっており、左足のカカトを一種のペダルの上においている。その衣服もうまくできている。幅の広いベルトでしめた半ズボン、首の所が日本のキモノのようにえりの開いたジャケツ、腕と足にぴったりとはめてあるバンド。これと類似した絵画の知識を持ち出すと、ここにも複雑なヘルメットがなければおかしいことになるが、それもある。くぼみと管のついたヘルメットで、てっぺんにはアンテナのような物もある。この宇宙飛行士は ― 宇宙飛行士としてはっきり描かれているのだが ― 前方へかがんでいるだけではなく、顔のすぐ前にぶらさがっているある装置を熱心に見つめているのである。この飛行士のフロントシートは、支柱によって乗物と後部とが切り離してある。内部には左右対称に配置された箱、輪、点、ラセンなどが見られる。

この浮き彫りは何を語る必要があるのか? 何も語ることはないのか。宇宙飛行士と結びつけることは愚かな空想の産物なのだろうか」(『コズモ4号』の筆者訳『神々の戦車』より)-->>『神々の戦車』

デニケンの推測を考察する前に、ひとまず古代のマヤ文明を概観することにしよう。太古のマヤ族はどこから来たのか? これについて考古学上の通説によれば、洪積世末期(氷河期)に陸続きであったベーリング海峡を渡って来たアジア系人種だという。しかしマヤの遺跡には旧大陸の遺物と思われる物は全然ないし、だいいち、2万5千年も大昔にモンゴル人がベーリング海峡を渡って、広大なアメリカ大陸や中央アメリカに集団移住しなければならなかった理由も判然としない。現代のマヤ族、その他アメリカインディアンなどの容貌がアジア人に似ているからといって、数万年前に起源をアジアに求めるのはいささか無理な推理ではあるまいか。

古代のあらゆる神秘的な民族のなかでマヤ族ほど謎に満ちた種族はない。その起源は全く不明だが、彼らは古代から驚異的な数体系を持っていた。ゼロの概念を含んだ位取り表記法を用いていたのである。またマヤはすばらしい暦法により、ぼう大な単位を持つ長期計算法を応用した。そして現代の天文学と同じほどの高精密計算により、地球の公転周期を365.2420日と出したのである。

更に神聖文字といわれる文字も使用していたし、神殿ピラミッドや擬似アーチ天井のある宮殿などが中央広場の周囲に整然と配置された広大な石造都市を建設した。これらは紀元前300年から西暦300年頃に発展したが、マヤ暦の起算点は紀元前3113年にさかのぼっている。

マヤ族のいちじるしい特徴がもうひとつある。彼らは戦争を好まず、ほとんど大戦争らしいものを経験しなかったのだ。野蛮な好戦的な種族に囲まれながら、よく民族の安全を保っていた。

マヤの黄金時代は西暦300年から900年までの古典期であり、特にユカタン半島中部地域は学術と芸術が偉大な発達をとげた。これは前期と後期に分けられるが、後期の低地マヤの文明は世界でも屈指の雄大な”失われた文明”である。そのうち最大の遺跡はグアテマラのティカール遺跡で、6基の神殿ピラミッドのうち4号神殿は高さが実に70メートルに達する巨大なものである。

そしてパレンケではあらゆるマヤ遺跡中で最高の美を誇る神殿群が建設され、そのなかでも「太陽の神殿」は完璧な建造物だといわれている。つまりこの神殿のあらゆる面の長さを測定すると、どうみても高度な数学を応用したとしか思えないほどに均整がとれていることがわかるのだ。いかなる数学をマヤ人は知っていたのか ― 。

第2話へ続く

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