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新アダムスキー全集

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  ルールドの奇跡 久保田 八郎
 

第2章2部 町中で大評判になる

この日のできごとは学校で大評判になった。学校といってもベルナデットが通う学校は公立校ではなく、フランス中部にあるヌベールの愛徳修道会が経営している私立の施設である。

修道院の中に設けられていて、貧しい子どもたちの授業料は免除されていた。だからベルナデットも通うことができたのだ。

▲現在のルールドの洞窟前。マリア像が置かれている位置に美女のまぼろしが出現した。マリア像はファピッシュ教授が制作したものである。

15日に学校へ行ってみると、子どもたちは大騒ぎしてベルナデットをからかった。そしてひどいデマが流れていた。女の亡霊が現れてベルナデットを追いかけたとか、手からへビを出したとか、さまざまの作り話になっていたのだ。

だがベルナデットはムキになって反発しようとはしなかった。自分が見たとおりのことをおだやかに話して訂正するだけで、おもしろおかしくしゃぺりちらすような子ではなかったと、裁縫の先生のシスター・ダミアが証言している。

この事件後、快活なべルナデットは少し憂うつになってきた。町中のうわさになったからだ。道を歩けば子どもたちがはやしたてる。婦人たちはベルナデットの姿を見ると、何事かヒソヒソ話をしてニヤニヤ笑いだす。

ところが、少女の体験に関心をもつ人がいた。もと女中として使われていたミエ家の主人から愛されて結婚し、いまは金持ちになったミエ夫人である。彼女は洞窟のうわさを耳にして、「これはひょっとすると、昨年10月に他界したエリザ・ラタピーの亡霊ではないか-」と考え、ミエ夫人は調査にのり出した。エリザ・ラタピーという女性は聖母会のメンバ-であり、信仰心が厚く、大変立派な死に方をした人なのだ。臨終のときには白い服を着せてくれと遺言している。ベルナデットが見た美女というのはエリザの亡霊にちがいない。よし、ベルナデットといっしょに洞窟へ行ってみよう。そうすれば自分の目でも確認できるかもしれない―。

2月18日の早朝、ミエ夫人は自分の家で使用しているアントワネット・ぺレーをともなってスビルー家を訪れた。アントワネットも聖母会の会員で、エリザの亡霊だと思っているのだ。彼女はその美女に名前を書いてもらうためにペンと紙を用意している。

母親のルイーズは断ったけれども、2人に説得されてしぶしぶ承知し、ベルナデットに洞窟へ行くことを許してやった。

15日問の日参を頼まれる

冷たい外気にふれながら3人は早朝の暗い道を歩いて行く。昼間だと人がついてくるので、人目を避けたのである。 洞窟に着いてからベルナデットがひざまずいて祈りを始めると、すぐにささやいた。

「あれがいる!」 すぐさまアントワネットがペンと紙をベルナデットにわたす。ベルナデットはそれを受けとって、洞窟の中へ少し歩みよった。このときまぼろしの美女は洞窟の右上の、例の小さなほら穴の所に立っていた。この穴はエントツのような状態で洞窟の天井の一部と通じているので、ベルナデットがそのトンネルの下まで行くと、美女はそこから降りてきた。

「あなたのお名前を書いてくださいませんか」 

ベルナデットはペンと紙をさし出して頼んだが、美女は微笑するだけで何も言わない。ベルナデットのすぐ前に立っているらしいのに、2人の婦人には何も見えないし、だいいちベルナデットが頼む声もなぜか2人には聞こえないのだ。美女は首を振った。それからルールドの方言を使って、世にもやさしい声でベルナデットに話しかけた。

「これから15日間毎日、ここへ来てくださいませんか」 

このときベルナデットははじめて美女の声を聞いたのである。それは鈴を鳴らすようなきれいな声だった。この声もほかの2人には聞こえない。暗い洞窟の中で演じられるベルナデットのパントマイムを凝視するだけだ。

「はい、かならずまいります」 

ベルナデットはうれしそうな表情で答える。やがて美女は眼前で消えていった。

「エリザの亡霊なの?それともほかの人?」 われに返ったベルナデットに2人がしつこくたずねる。

「エリザ・ラタピーさんではありません。ぜんぜんちがう方です」     

しばらく考えこんだエミ夫人が、やがて空を仰いでつぶやいた。「それはたいへんなことになった!ひょっとしたら聖母マリアかもしれない」

この世では幸せにできないが、あの世では―

このときのコンタクトは数分間という短いものではなくて、じつは1時間も延々と続き、その間、ベルナデットはたえず何事かを語り合っていたのである。途中2人の婦人が見えない美女の方へ近よろうとしたので、ベルナデットが右手を上げて制止した。私たちがここにいるのを、その方は嫌がっているの?」とエミ夫人がたずねると、それをベルナデットが美女に伝える。

▲祈りの姿勢のベルナデット。16歳の頃。

「ああそうですか、よろしいのですね」 ベルナデットはふり返って、ここにいてもかまわないとおっしゃったと言う。

帰る道すがら、何をあんなに長く話し合ったのかとエミ夫人がたずねると、ベルナデットは、複雑な表情で答えた。「あれはこう言っていました。『あなたをこの世では幸せにすることはできませんが、来世ではー』と。そして、あなた方2人を見てほほえんでおられました」 

これを聞いた2人は感動した。まさしく聖母マリアにまちがいない。しかも私たちもマリア様に愛されている!

こうしてみんなから頭がおかしいと思われていたベルナデットに、まず2人の強力な支持者が現れることになった。その後、ベルナデットがひどい逆境におちいったときに、なにくれと応援したのはこの2人の婦人であった。

■カトリック修道会について

修道会は、キリスト教のカトリック教会から公認された共同生活による修養の場で、清貧、貞潔、服従の誓願をたてて、キリスト教信者としての完徳に達しようとする修道士と修道女からなる修養団体である。

厳律と寛律とに分かれ、前者は終生の誓願を、後者は有期誓願をたてるものをいう。

創立の認可はロ-マ法王から与えられる。修道院はその生活共同体で、ここに住む修道士や修道女はともに制服ともいうペき黒い修道服を着て、きびしい戒律のもとに暮らす。有名なのにドミニコ会、フランシスコ会、カルトル会、アウグスティー会、ベネデイクト会などの修道会があるが、これらは厳律に属する。

また修道会は祈りと共同作業を主体とする観想(真理や実在を眺めることだけを目的とすること)的なものと、一方、学校・病院・養育院などの社会事業を経営して愛の実践を行うものとがある。この代表的なものはイエズス会で、共誦(きょうしょう)祈祷や修道服などにとらわれずに布教に努力している。

修道院の生活は自給自足のかたちをとることが多く、内部に農園や仕事場があり、聖堂を中心に集会室、回廊、食堂、寝室、図書室、病室などがある。

修道院に入るには男女とも洗礼を受けてから3年たっていることが条件となるが、修道会によっては2年のところもある。年齢はおよそ18歳から25歳ないし30歳までで、これも修道会によって差がある。未婚を原則とするが、修道会によっては寡婦を受け入れるのもある。学歴は問わない。ベルナデットのころは持参金を必要としたけれども、現在は不要。修道院の維持費は自給自足、教会からの拠出、学校や病院などの経営でまかなわれる。

母親と伯母が信ずるようになる

翌19日の金曜日からベルナデットの洞窟日参が始まった。この日には8人の町民がついて来た。次の土曜日には30人となり、日曜日には100人にふくれあがった。しかし、すべての人が100パーセント信じていたわけではない。なかには興味本位の野次馬もいたが、たいていの人はベルナデットをおとなしく見守って、妨害はしなかった。見物人たちもひざまずいてロザリオをとなえるのだ。

ベルナデットの母親のルイーズはさすがに娘の行動が気になってきた。町中の評判になっているので、なんとかしなければと思い、姉のベルナールに相談したところ、とにかく洞窟へいちど行ってみようではないかということになった。

2人が娘に同行したのは19日の金曜日である。だが洞窟の前で祈るベルナデットの美しい顔に仰天してしまい、これがわが娘かと驚いたのだった。

約30分間、ベルナデットはだれの目にも見えぬ美女のまぼろしと語り合う。ときには微笑し、ときにはうなずいたりしながら、洞穴の方を見上げている。

これは絶村にまやかしでもお芝居でもなく、たしかに何者かと会見して、まともに語り合っている姿である。狂気でもないし、失神状態でもない。実際に崇高な実体がベルナデットの眼前に存在しているのだ。 

母親と伯母はこの日から完全に考えをあらためて、ベルナデットを信ずるようになった。

第2章3部へ続く

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