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新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
  だれにもわかる「生命の科学」


第7課 宇宙的記憶  第2部

記憶の書は開かれる

 90ページの11行目から「一個人はエゴのかわりに常に(神意識)というものを考えるならば、いつか神と一体化し、神に似てくることになるのです」とありますが、さっき申しましたように神(宇宙の意識・宇宙のパワー)というものの存在を常に自分で考え、そのようなフィーリングを起こすようにすれば結局自分自身もそういうふうになってくるのであり、また同じような人がまわりに寄ってくるようになるのだということです。

 そして92ページの3行目に「永遠の記憶を持ち続け、神すなわち至上なる意識≠フ似姿になるためには、人間はそれを(意識を)生かし、配偶者のごとく生涯の伴りょとして共に生活しなければなりません」とありますように、心と意識を混和させるならば永遠の記憶がよみがえるようになるし、よみがえらないにしても今から自分自身の中にその記憶が蓄えられてそれをはっきりと思い出せるようになるというわけです。すなわち「黙示録で約束されたように記憶の書≠ェあなたの前で開かれるでしょう」ということです。

 「記憶の書」というのは原語ではアカシック・レコード(Akashic Record)となっています。古代インド哲学にアカーシヤ〈Akasha)という言葉がありまして、だいたい「虚空(こくう〉」または「空(くう)」という意味です。もっと詳し<いいますと「物質的または非物質的な実在物(目に見えるものも目に見えないものもすべて)を存在させるための共通の媒体と考えられる根源なる物質」という意味です。ちょっとややこしいですからこんなことは覚える必要はありません。ただ、もとの意味では「虚空」あるいは「空」 というような意味であって、簡単に言えば、この宇宙の万物(目に見えるもの、副こ見えないもの、あらゆるもの)を存在させるための媒体になるもとのものという意味です。そういう思想が古代インドにあったのです。すごいものですねえ、古代インド人の哲学というのは。

 その「アカーシヤ」という言葉ですが、これを形容詞にして「アカシック・レコード」と言えば「宇宙的な記録」という意味になります。ヨハネの黙示録には「記憶の書」というような言葉で出てきますが、人間の行為や言葉のすべては宇宙のどこかに記録されているという意味です。どこに記録されるのかということはわかりません。しかし今私がしゃべつていることも、みなさん方がこうしてここにいらつしゃるこの姿、それからみなさんから発せられる想念もすべてどこかに刻々と記録されているはずですから、それが読み取れれば過去の歴史がわかるはずです。つまりここにありますように人間個人が自分の心を内部の宇宙の意識と混合させればこの記憶の書が展開してくる、すなわち過去の姿が見られるようになるということです。なかなか難しいことですが−。

半分だけの人生

 それから93ページの「人間は半分メクラ」という小見出しのところには「ある意味ではわれわれ人間は半分メクラなのであって、つまり人生の半分だけしか生きていないのです」とあります。そして「イエスは言っています。『死者に死者を葬らしめよ』と」−これはどういう意味かといいますと、死体を運ぶ棺の付添人はやはり死体と同じものだということです。なぜかといいますと、死体を運ぶ人たちは体は生きていますが宇宙の意識(宇宙の根源なるパワー)に全然気がついていませんから死人と同様だというのです。だから生きていても半分メクラだというわけです。

 イエスというのはすいぶん厳しいことを言う人ですね。例えば新約聖書の中に「女を見て色情を起こす者は既に姦淫せるなり」というような言葉がありますが、ずいぶん厳しいですね。そういうことになれば私なんかしょっちゅう姦淫していることになります(一同笑)。しかしそういうイエスのものすごく厳しい言葉というのは私にとっては大変魅力的です。

 それでこの「死者に死者を葬らしめよ」というのはどこに出てくるかといいますと、新約聖書のマタイ第8章22節にあります。イエスの一行が湖を渡る前に、弟子の一人が「おやじが死んだのでこれから葬式に行かせて下さい」と言ったら「そんなものはほっておいて私について来い。死人は死人たちに任せておけ」と答えたわけです。ずいぶん厳しいことを言っていますね。

 しかし私たちはこれをそのまま日常生活に応用するわけにはいきませんね。自分の家や近所に不幸があった揚合に「そんなものは死人にやらせておけ」とか言って全然葬式にも出なかったりすれば完全に気違い扱いにされて相手にされなくなります。ですから私たちはそういうことを知っていても、常識をわきまえて、葬式にもちゃんと出席して、一応の礼を尽くすことが大切だと思います。

ミラクルワードで一体化

 それから94ページに非常に重要なことが書いてあります。「宇宙の意識と一体化する方法」がここに具体的に載っています。「ではどうすればこれがなされるでしょうか? それは学校で物事を暗記するのと異なるものではありません。つまり意識が自分の心に十分に印象づけられたと確信するようになるまで反復して唱えることによってなされるのです。(訳注。『私は意識と一体である!』という言葉を常にくり返して言う反復思念の技術を意味する)」とありますね。これが私の提唱しているミラクルワード〈奇跡を起こす言葉)≠フ根源的な理論です。ですから宇宙の意識と一体化するためには「私は意識と一体である!」と唱え続ければよいのです。この言葉は「私は神と一体である」とか「私は宇宙のパワーと一体である」とか「私は天の父と一体である」というふうに言いかえてもよいでしょう。そのもの自体つまり神のようなものをフィーリングで自分が感じられれば言葉は何でも構いません。

 それで、私が名づけたこのミラクルワードを、私自身もしょっちゅう唱えています。道を歩いているときや電車に乗っているときもI唱えていますし、夜寝る前あお向けになってから眠りに入る前ごろには特によくこれを唱えます。

 私の唱え言葉はだいたい決まっていまして、それもごく簡単なことをくり返し言うだけです。このごろは、人間も無生物も含めて万物の中に私自身が存在しているのだという意味の言葉を唱えることが多いのです。「私と万物とは一体である」と言ってもいいですが、私は「一体である」と言うよりも「万物の中に私が存在している」と言っています。そうするとときどき奇跡的なことが起こります。

自然のパワーを信じて従う

 それから95ページのはじめに「あなたを混乱させるような多くの主義・主張にとらわれないようにしなさい」とありますが、これも重要です。「これまであなたの心中によく起こっていたのと同じ種類の反応を期待してはいけません」ということは、「そんなことはバカバカしいことだ」というような反応を絶対起こさないようにしなさいということです。

 次の「花は応答する」というところを見ますと、「花に向かって『顔を左石に動かしなさい』と命じるならば、この応答が見られます」とあります。普通の人は花などを、人間と同じ生き物だとは思わないで、せいぜい見た目がきれいだから買ってて帰って飾ったりする程度ですが(それでも花を踏みにじったりするよりははるかにいいでしょうが)実際はこれも同じ宇宙のパワーによって生かされ、私たちと全く同等の資格を持っている生き物ですから、そのようなことを理解した上で、肉眼の目ではなく、内部の意識で花の意識に呼びかければ花も応答するというわけです。ただし「その揚合あなたは英知ある物体に意識でもって話しかけているということを常に記憶していなければなりません」とあります。

 その例として、沖縄の超能力を持つ女子中学生は、花を足で潜みつけたりすると「痛い!痛い!」と花の叫ぶ声が聞こえて<るそうです。これは花の意識をキャッチしたと言えるでしょう。

 ただしこういうことは、96ページのしまいに「あなたは練習することなしにこうした状態になることはできません」とありますように、実践していないことにはできませんね。

 そして心と意識との一体化によって当然自分の病気も治すことができるのだということを、97ページの10行目で「自分の精神生活を修正するならば、あなたがこれまでにかかっていたいかなる種類の病気も消減します」と書いてあります。

 人間の体を生かしているこの非常に神秘的なパワーは、人間の体を完全にしようとしているに違いありません。不完全にしてやろうとしているはずはありませんから、その完全にしようとしているパワーに自分の心を従わせれば内部のカによって次第に健康な状態になって<るということは十分言えるでしょう。この力を医学的には自然治ゆカと言っていますが、それを邪魔するのが人間の心です。人間はそのような内部のパワーに気がつきませんから「自分は病気になったらしい。ガンじやないかな」というふうにすぐに恐怖心を起こして緊張します。その恐怖心と緊張がいっそう病気を悪化させるわけです。

 緊張することがいかに良くないかということは今度のニューズレター(第78号〉のアダムスキーの『さらば空飛ぶ円盤』の第9章の中にも詳しく書いてあります。これをお読みになれば、緊張がいかに人間の体をダメにしているかということがよくわかります。そしてリラクセーション(一般にリラックスすると言います)がいかに重要であるかということもわかりますから是非読んでみて下さい。ただ、リラックスするということは体をあお向けにしてダラッとひっくり返っていることではなくて、くつろぐということです。

年齢は自分でつくるもの

 そして98ページの最初に「老化は心の概念であるからです」とありますが、これについては『宇宙からの訪問者』の第2部の中で、アダムスキーが母船内でマスターから非常に素晴らしい教えを受けている部分がありますからそれをお読み下さい。人間の体というものは本人自身の心で作り上げていく彫刻作品のようなものだということを言っています。

 そして続いて「人間が自ら年齢を重ねるのですから、若さも人間によって得られるといえるでしょう。これは人間が宇宙の意識と一体化するときになされます。宇宙の意識は年齢、時間、場所などを知らないからです」とありますが、確かにそうですね。結局宇宙の側から見れば時間も物質も空間もないのです。私たちの目に存在するように見えるのは変化する姿の一瞬一瞬をとらえているにすぎません。これは物理学的にも言えると思います。さっきこの演壇へ出てきたときの私の体の中と今の体の中はもう違っています。変化しているのです。精神も変化しています。みなさん方もそうですね。ここにある無生物のテーブルも変化しています。あらゆるものが刻々と変化しつつあるのです。宇宙にはその変化する姿しかないのです。

 そのように考えますと時間もないのです。時間の流れなどというものは人間が勝手につくり出したものですから、時間もないということをはっきり認識してそのようなフィーリングを起こせば本当に年をとらないはずです。ところが地球というところでは戸籍というものがあり、いたるところで生年月日を聞かれ、常に自分の年齢というものを表面化させなければいけないしくみになっていますから、どうしても「年をとったな」というフィーリングが起こるわけです。これはどうにもしようがありません。私はさきほどの司会者の説明のように、あしたは25歳の誕生日なのですが、〈一同笑)‥‥まあ、自分では25歳だと本当に思っていますが、ときどき何かの書類に生年月日や年齢を書けといわれると、まさか25歳とは書けませんのでしかたなく本当の年齢を書きます。そういうときは「いつのまにかこんなに年をとったんだな」と自分でもあきれるような気持ちになります。どうもこれはしようがないですね。

心は浮かれ騒いでいる

 それから今度はアダムスキーが円盤の中へ入ったときのことが書いてあります。その中は大変珍しいものばかりなのではじめは心が浮かれ騒いで好奇心のかたまりであったけれども、しかしそれではいけないと気づいて「意識という教師である私の真自我へ私自身をまかせる、J(p.99、3−4行目)ようにしていたら、あとはうまくいったということです。

 しかし実際に一般の地球人が(GAP会員の方々も含めて)円盤とか母船の中へ連れ込まれたら、好奇心を持つどころではないでしょうね。私たちはマインドだけで生きておりヽ肉眼だけでものを見ていますから、あの母船の内部の想像を絶した光景をご覧になればきっと気の狂ったような状態になるでしよう。これは決してみなさんを悪く言っているのではなく、よはどの心構えがないと乗れないということなのです。アダムスキーでさえもはじめは好奇心のかたまりだったためにどうしようもない状態になつたと言っていますから。

 ですから自分のマインドを静めて内部の宇宙の意識と一体化させるということがいかに重要であるかということがよくわかります。母船に乗らないにしても、日常生活においてもこれは本当に大切なことだと思います。特に旅行に出るとそれがよくわかります。初めての土地や珍しいものを見ているといつのまにか目は現象に振り回され、心は浮かれ騒いでしまって、宇宙の意識がどうのこうのということはすっかり忘れてしまいます。とにかく全身が日というものに引きずられて動き回っていlるという有り様です。それにハツと気がついて「ああ、こんなことではダメだ」と考えることがたびたびあります。もちろん目というものは未知の物を見て何かを学び取るために必要な道具ですし、旅行というのは宇宙的な価値を持つものだとアダムスキーも言っていますので、やはり目は必要なものですが、ただそれに振り回されて浮かれ騒いではいけないのです。

 なかなか難しいことですが、やはりそうしなければいけないでしょうね。難しいからといって全然練習や実践をしないでいたのではいつまでたっても進歩しませんから、自分がやれる範囲で少しずつでも練習をしていけばよいでしょう。テレパシーの練習でもいいですし、机の上に花を飾っておいて毎日それに語りかけるという練習でもいいですし、あるいは昔、聖フランシスがやったように小鳥を飼ってそれに話しかける練習でもいいですね。ネコやイヌを相手にするのもいいでしょう。とにかく何かを少しずつでもやっていくようにすれば緩慢ながらも何かの向上があると思います。

 それから、GAPは確実にスペースプラザーズの注目の的になっており、本当に熱心に実践をされる方にはそれとなく激励の想念が送られているばずです。自分では気がつかないかもしれませんが、祝福の想念といいますか、激励の想念が送られているはずです。そのことを申し添えまして、きょうはこれで置かせていただきましょう。どうもありがとうございました。

〈1982年7月3日 東京文化会館にて)

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