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新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
  だれにもわかる「生命の科学」


第6課 "新鮮さ"は人間の若返り薬  第2部

無限の可能性として

 77ページに行きますと「人間と自然との相違」という小見出しがあります。「人間と自然とのあいだの唯一の相違は、自然は自身の意志を持たないということです。というのは、前述のように、自然は“全包容的な英知”の意志のもとにあるからです。しかるに最高の表現としての人間は自由意志的な心を与えられています。人間が苦悩を持つのは実にこの点にあるのです」。それではなぜ自由意志というものが与えられたかという理由は、78ページのはじめに書いてあります。「人間が自由意志的心を与えられた理由は、人間が生活の方法と目的とを”至上なる英知”から学び硬るかもしれないという点にあります」−「学び硬るかもしれない」という期待のもとに人間に自由意志が与えられたというわけです。

 これに対して「はじめから”至上なる英知”を学び取った人間として創造されたらいいじやないか」と思われるかもしれませんが、それではある状態に固定してしまうことになり、退化もありませんが進歩もありませんからダメですね。ですから何かをどんどん学び取って次第に成長していく余裕と可能性が残してあるところに、人間が創造されたひとつの目的があるのではないかと思います。

 そして「人間は創造主のようになる可能性を持っていて、イエスがいったように『私と父とは一体である』のです」と続いていますが、こういう表現は聖書の言葉を思い出させて少々宗教的に感じさせるかもしれませんが、この「父」という表現は、万物の創造主をもっと親しみを込めてイエスが言った言葉ですから、その本来の意味で使えば別に問題はないと思います。ですから「だからあなたが他人を見るときは”父”を見ているわけです」というのはつまり、創造主を見ていることになるのだという意味になります。すなわちあらゆる人間の中に創造主の英知(intelligence)が含まれているということです。

 だからこそ「金星人や他の惑星人は自己の心を意識の指導にゆだねることによって、このことを日常表現しようと努力して」いるのですが、地球人は逆に「心に」関連した習慣的な細胞群を作って」いるのです。「心に関連した習慣的な細胞群」というのは、目・鼻・耳・口というものが主なものでしょう。これらが習慣的になると「たとえば飲酒家の心は極端に酒を飲むのは肉体によくないことを知って」いるけれども「習慣が心の主人となって」いるから心はその奴隷と化し、飲まずにいられなくなるわけです。そういう人は飲み屋の前を通っただけで入りたくなったりしますが、これは全身の細胞がそういう欲望を起こしているのではなくて、極端に習慣化してしまった味覚という感覚器官を形成している細胞群が飲みたがっているのです。これを治すには自分の猛烈な意志によって抑制する以外に方法はありません。

 といっても「一滴も酒を飲んではならないという意味でちよありません」と非常にうれしいことが書いてありますね。(一同笑)「何事でも適度にやればそれでよいのです。むしろこれは、人間は習慣を自分の主人にさせないで、自分が自分の生活の主人になる決意を持たねばならぬことを意味します」とありますから、酒を飲むということ自体は絶対によくないというものではなく、ただ飲み過ぎるような習慣細胞を作らないように注意しながら、適当に飲んでいればいいのだということです。

コーラは無害

 そして79ページには「心は現象に頼っている」という小見出しがありますが、全くその通りです。私も旅行に出ますとそのことを痛感します。家にいるときは冥想をやったりして内部の意識と心とを一体化させるようなことをしていますが、いったん旅行に出ますとたちまち新しいものに目が奪われてしまいます。珍しいものはないかと好奇心のかたまりになって、キョロキョロあたりを見回して歩いたりしますが、後になってから、完全に自分自身を失っていたなと気づきます。これが「心は現象に頼っている」ということです。

 それから心が現象に頼っていますと、他人の言動に左石されやす<なってしまいます。例えば人のデマに惑わされやすくなります。その一例をあげますと、飲み物のコーラに関するデマがあります。あれを飲めば体に有害だという話がありまして、意外にこれを信じている人が多いようです。絶対にコーラを飲まないぞという人を私も知っていますが、これはちょっとおかしな話です。別に私はコーラの会社から宣伝費をもらって話をしているのではありませんが、コーラというのは全く無害です。私はコーラ はそれはど好きではありませんが、のどが渇いたときにときとき飲みます。そうしますと私のそばにいる何人かの人のうち必すだれかがコーラは有害だと言い出します。なかには体の骨が溶けるとか言う人もありますが、そんなことはありません。あれは単なる炭酸飲料水であって、それにカルメラで色をつけて、リン酸、クエン酸やカフェインがはんの少し入っている程度です。カフェインにしてもコーヒーや紅茶に比べると5分の1から4分の1程度だそうです。だからコーラが有害だということになればほかの清涼飲料水は一切飲めな<なります。

 こういう話をしますのも、あまりに人がコーラは有害だと言うものですから、この前直接あるコーラの会社に電話をかけて聞いてみたんです。そうしますとこのような質問はすいぶんあるのだそうで、私が電話をするとそれに答える専門の人がちゃんといました。女性の人でしたが、医学的な立場から非常に詳しく説明していただきまして、資料も送ってもらいました。かなりぶ厚い資料が来ましたが、それを読んでみましても全く無害だということがわかりました。それはそうでしょう。世界中、百何十カ国に支社を持っている大会社で、しかも長い間膨大な量を売りまくっているわけですが、それが有害だったらそんなに売れるわけがありません。安心して飲んで下さい。

 ところがこういうデマをかなり教養のある人でも信じている例があります。こういう人は間違った知識に振り回されているのでしょう。ですからやっぱり内部の意識から来る印象に従って考えてみればいいのです。そうすればこれは飲んでも大丈未だというような印象が来るかもしれません。その上で確認のためにコーラの会社へ聞いて調べてみればいいだけです。

 そのように人間はとかく周囲の環境に振り回されやすいですから重々注意を要します。

父≠ヘいつでも待っている

 80ページの5行目に「人間が自己の心中にあると感じて探し求めている幸福は、人間が自己の意志を意識の意志と融合させて見つかるのです」とありますが、これはちょうど放蕩息子が家へ帰るようなものだという説明があります。

 新約聖書のどこだったでしょうか、放蕩息子の物語というのがあります。家を飛び出して遊び歩いていた息子が久し振りに帰ってきたときに、普通の親ならば怒って「家へ帰るな。出て行け!」と言うところを、そのお父さんは大変に包容力のある人で、「よく帰ってきてくれた」と言って喜んで迎えて、しかも宴会まで開いて祝ってくれたというような物語です。それはアダムスキーに言わせればひとつの例え話だというのです。つまりこれは、私たちの普段のマインド(心)は放とう息子みたいなもので、自分の本当の父親である内部の宇宙の意識(創造主といっていいでしょう)を忘れてしまい、そこから離れてふらふら迷い歩いている状態だというのです。だから自分の内部の本当の父親である宇宙の意識に気づいてそのほうへ帰って行こうという決心をすることがすなわち放とう息子が家へ帰るのと同じことだと言っているわけです。ですから81ページの5行目の「家へ到着したとき息子のエゴは驚きました。というのは父親が息子のために宴会を開き、あたかも何事もなかったかのように両腕を開いて歓迎した からです」というのは、宇宙の意識である創造主は絶対にエゴを非難しないので、気づいたときに帰って行けば意識はいつでも迎え入れてくれるということです。その意識を父親に例えてあるわけです。ですから81ページ6行目の「エゴが自らを指導しようとするほど」というのは正雁には「エゴが自らを克服したとき」となります。つまり、こうなるわけです。「エゴが自らを克服したときほど大きな勝利はなく、その努力に対する報いは無限なのです」

 81ページのしまいに「真の生まれかわり」という小見出しがあります。私たちは生まれかわりというと普通、肉体が死滅してからまた次の新しい肉体を持って別な環境に生まれかわることを言っていますが、本当の生まれかわりというのは「心を新生させて個人が新たに生まれかわること」だということです。ですからいつでも生まれかわれるわけです。

あなたの足で帰りなさい

 そして82ページの5行目から「あなたがいかに多くの書物を読もうとも、いかに多くの宗教を遍歴しょぅとも、いかに多くの講座や教師につこうとも、放とう息子がやったようにやらなければ、これらは何にもなりませんし、真理をもたらしません。自我のプライド(自尊心)を死減させて、謙虚さと意識の意志≠フ中に生まれかわりなさい!」と、非常に強調して言っています。「だからといって、あなたが今の生活で楽しんでいる物事を捨ててしまう必要はありません。ただ、極端にやっている物事を適度にやればよいのです」

 続いて「あらゆる生命体や、個体を作り上げているあらゆる細胞の中に現れている神≠見るように自分の心を仕向けなさい」とありますが、ここの神≠ニいうのは原文の英語でもやはりGodと書いてあります。神という言葉を使うと宗教みたいにとられがちですが、しかしこうとしかあらわしようがないのでしょうね。それともともとアダムスキーがキリスト教信者であるアメリカ人に読ませようとして書いたので、わかりやすいGodという言葉を使ったのでしょう。

 その神≠見るように心を仕向ければ、「あなたは金星人や他の惑星人がやっているような生き方をし始めることになり、あなたの生活に差別というものは存在しなくなります」ということです。「そしてあなたの肉体は完全さの証拠を示すでしょう」ーということは、本当の健康体になるのだという意味です。

 そして最後に「決心が重要」(p83)であるという、当然すぎるようなことがここに書いてあります。いまさら言うほどのことでもないのですが、しかしこういうのを読んだときは「いいなあ、いいなあ」と思っても、本から目を離したら最後、普通の状態に戻ってしまうということがとかくありがちなものですから、毎日『生命の科学』のどこでもいいですからパツと開いて、目についたところを、1行でも2行でも読むというふうにされるのが一番いいでしょう。

自己の意識を信じよう

 84ページの8行目から「われわれは他人にたいして正直で誠実であり得る前に、自己の良き自我≠ノたいして正直で誠実であらねばなりません」とあります。「自己の良き自我=vというのは意識の意志つまり創造主の意志という、万人の内部に宿るものを良き自我≠ニ言っているわけです。そしてその次に最も重要なことが書いてあります。「他の意識的実体が自分を信用してくれることを期待しようと思えば、自己の意識をまず信用しなければなりません」
 時間がまいりましたのできょうはこれでおくことにいたします。どうもありがとうございました。

(1982年6月5日 東京文化会館にて)

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