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新アダムスキー全集

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中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
  土星旅行記 ジョージ・アダムスキー/久保田八郎訳

第1話 GAP Newsletter No.75 1981 AUTUM より転載

この記事は(地球日付で)1962年3月27日より30日まで土星で行われた太陽系の12惑星の代表者会議にアダムスキーが出席したときの宇宙旅行に関する報告で、1962年6月に各国GAPリーダーに送られたもの。
 7年後の1969年12月刊行の編者(久保田)編「空飛ぶ円盤とアダムスキー」に収録したが、絶版になって久しいため、ここに改訳決定版を掲載した。この貴重な資料が読者に裨益すれは幸いである。

土星に着陸す

26日に私は一機の宇宙船(注=別な惑星から来た宇宙船)に乗ってこの旅行に出発しました。この宇宙船は24日にアメリカのある航空基地へ着陸し、そこで米政府の高官が宇宙船の乗員と会談しました。この会談後に宇宙船はもとの惑星へ帰ることになったのです。

この宇宙旅行は時速3200万キロ以上のスピードで9時間ほどかかりました。 おもな会議は29日と30日に開かれたのですが、私は27日に到着したときにほとんどの出席者に会いました。

28日は会合はなくて、訪問者は都市や周辺の見学に案内されましたが、それは言葉で表現できないほどに美しい光景でした。建築物や大通りなどの壮麗さは信じられないほどです。

ここで大通りというのは私たちが地球で知っているような種類のものではありません。というのは土星の大通りは花で作られているからです。地球のコンクリートやアスファルトのようなものではなくて、何マイルも何マイルも花が敷きつめてあって、各大通りが異なった色を帯びています。

土星の乗物には車輪がありませんので地球にあるような種類の道路を必要とせず、ただ進行路線があればよいのです。

この路線というのは横幅の広い花壇なのであって、この上の空間を電磁作用で進行する乗物が、植えてある花を傷つけないで滑空するのです。私たちは多くのこのような大通りを進行しましたが、先にも述べたように、すべてがあまりにも美しくて地球の言葉ではとても表現できません。目撃したとおりに正確にこれらの光景を私が思い浮かべるにつれて、私の心の中を写真に撮ることができればよいのにと思います。

私はカメラを携行して写真を撮りましたが、地球へ帰ってフィルムを現像してみたら、それがすっかりだめになっているのがわかりました。カメラさえも元のままには作動しません。どういうわけか私にはわかりませんが、たぶん船体の磁場がフィルムを傷つけたのでしょう。

▲この写真はアメリカの惑星探査機ボイジャー2号が今年(注:1981年)8月3日、2,250万キロメートルの距離から撮影した土星のリング。Bリングの外側に黒いスポーク状のものが見えるが、これは全くの謎。

天国のような生活

私は次のように言うことができます。

土星の建築様式は私たちの想像を絶したものであると。遠くから見れば都市は白く見えますけれども、そのなかを歩いたり乗ったりして通過しますと各建物やその他一切の物は乳白色を呈しています。

それは息のつまるような体験でした。建物の幾何学的な構造があまりに美しいからです。それは、私たちがこれまでに教えられてきた”天国”そのものであると言えるでしょう。

人々は一大家族として住んでいますが、この地球上の兄弟姉妹よりももっとすぐれた生き方をしています。土星人は私たち地球人がいわゆる”神” に対して敬意を払う以上に、はるかに大いなる敬意を人間同士が互いに相手に対して示し合っているのです。

だれも完全な調和を感じることができました。というのは、私たちが地球で知っている素晴らしい音楽においては、多くの音符が一つの美しい旋律を作っているのと同様に、宇宙の法則という関係においてそれは最低から最高に至る多くの心を含んでいたからです。

また、だれも土星人の想念や行動に関して彼らのあいだにいささかの疑念や不信をも感じることはできませんでした。

もちろん私たち(各国のGAPリーダー)すべてが知っているように、土星は天秤すなわち完全な釣り合いをあらわしています。一度そこへ行ってみればこれを疑うことはできません。しかも土星人は、宇宙の生き物のあいだにより大きな美とより大きな調和があるのだと言っています。

創造主と一体化して”間抜け”になれ

私たちの現在の精神状態からみれば、私たちはこの事を全然理解できないようにも思われます。しかし私たちがこの素晴らしい生命の計画に自己をゆだねるならば、それは私たちの理解するところとなります。

私は何度も考えることがあります。この地球上のすべての人間はこのような大きを名誉を受けるように自分を向上させるのだろうかと。地球的な見地からみますと、ときとして少数の人だけがこの特権にあずかるのだろうと思われます。なぜなら地球人の心はあまりに個人的な事に熱中していて、容易に腹を立てるからです。このことはすでに長い時代を通じて行われてきましたので、次のような疑問が起こってきます。

「創造主から与えられた生命の充実に対する権利を得ようとして、一体どれだけの人が努力しているのだろう?」 

そこで私は永遠というものを考えてきました。その中に万人が含まれていますので、そのためにいつかはだれもがそれを行うでしょう(努力するでしょう)。

ある人は早くそこへ到達するでしょうし、数十億年かかって到達する人もあるでしょう。なかには全然到達しない人もあるでしょう。私たちの自我または個性を創造主の意志にゆだねることは容易ではありませんが、しかし自我にどのようを犠牲が起ころうともそれは努力すべき事柄なのです。

次のように言う人があるかもしれません。

「もし私たちが自我または個性を捨てるならば、私たちは間抜けになるのではないか」

そうです。地球的な見地からすればそのとおりです。しかし人間は創造主の意志に向かう以上に大きな間抜けになることができるでしょうか。自我を捨てればあなたは創造主と一体になるでしょう。 それが創造の目的なのです。

私たちが黄金とか何とかの言葉で富を計っても、いかなる富といえども、このような参与者になる人々 (創造主と一体になる人々)を待っている報いを私たちに与えることはできないでしょう。

さて、私が目撃した素晴らしい美を表現することは困難です。それはこの地球上のいかなる物をもはるかに凌駕しているからです。私たちの取るに足らぬ”心”は積極的であるかもしれませんが、まだ目覚めてはいません。というのは、心は依然として永遠という子宮の中にあって、創造主の目でもって実際に存在する物を見るかわりに、存在するかもしれない物を夢見ているからです。

そうです、リーダーの皆さん。私は今度の宇宙旅行で私に与えちれた名誉を皆さんにおわかちする特権を授けられようとして実際に自分が何をやったのかは私にもわからないほどです。

もし私が知る特権を与えられた物事のすべてを心の中に集めることができれば一冊の書物が書けるでしょう。しかし、おわかりのことと思いますが、例の世界講演旅行から帰って以来ずっと私には多くの複雑を状態が起こっていますし、また人間は二人の主人に仕えることはできません。したがって私が美しい宇宙を眺めているあいだに受けた印象のすべてが充分に蘇ってくる日を待つことにします。

私にはあまりに仕事が多すぎるのです。 私は自分の義務を遂行することができるように必要な援助が現れることを祈っています。援助する人はいかなる性質の疑惑をも起こさないようにして、私が洩らす物事に対して人間の心の素直さを持つ必要があります。

>>第2話へ続く

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