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神々の戦車 エーリッヒ・フォン・デニケン

第8章(2) 鳥人の島 イースター島  UFOと宇宙 No.4 より 
 

たぶんここでプレ・インカの神話がヒントを与えてくれるかもしれない。それによると創造の神であるヴィラコチャは太古の原初的な神であった。伝説によればヴィラコチャは世界がまだ暗黒で太陽がなかった頃にこの世を創造したという。

プレ・インカの神話が語るもの

ヴィラコチャは石で巨人族を彫ったが、巨人族が彼を不愉快にさせたのでそれらを大洪水の中に沈めてしまった。それからチチカカ湖の上空に太陽と月を昇らせたため、地上に光があたるよぅになった。次に---この部分を注意して読まれたい---彼はティアウアナコで人間と動物の粘土の像を作り、それに生命を吹き込んだのである。

その後自分で作ったこの生きものたちに言語、習慣、技芸などを教え、ついにはそのなかのいくつかを別々な大陸へ飛ばせて、そこで住むようにさせた。この仕事がすんだあとでヴィラコチャ神と二人の助手は多くの国々へ旅して、彼の教えが守られているか、どんな結果になったかを調べてみた。老人の衣服を着たヴィラコチャはアンデスを越えたり沿岸を歩きまわったが、ときにはひどい待遇を受けたこともあった。

▲聖なるチチカカ湖から現れたという白い神ヴィラコチャの石像。

あるときカチャではひどくいやがられたので、怒った彼は断崖に火をつけたところ、国中が燃え始めた。すると恩知らずの人々も彼の許しを乞うたので、彼は簡単な身振りで炎を消してしまった。ヴィラコチャは旅を続けて、いろいろな事を教えたり忠告を与えたりしたので、その結果多くの寺院が彼のために建てられた。最後に彼はマンタの沿岸地方で別れを告げて、波に乗りながら大海を越えて消え去ったが、また来るつもりだといい残した。

南アメリカ、中央アメリカを征服したスペインの征服者たちは、いたる所でヴィラコチャの伝説に出くわしている。彼らはそのとき初めて天空のどこかから来た巨人の白人族のことを聞いたのである。しかも驚いたのは、人間にあらゆる種類の技芸を教えて去って行った"太陽の子″族について知らされたのである。スペイン人が聞いた伝説類すべてに、太陽の子らが帰ってくるという確約が含まれている。

アメリカ大陸は古代文化の本場であるが、我々のアメリカに関する正確な知識はせいぜい一千年にさかのぼるにすぎない。織機を知らないばかりか所有もしていなかったインカ人がなぜ紀元前三千年にべルーで綿を栽培したのかはまったくのナゾである。マヤ族は道路を作ったが、車輪について知っていたのにそれを使用しなかった。グアテマラのティカルにある古墳ビラミッド中にあったすばらしい五本ヨリのヒスイの首飾りは一つの奇跡である。なぜならそのヒスイは中国産のものであるからだ。オルメケンの彫像は信じられないほどにすばらしい。美しいヘルメットをかぶった大きな頭部像は、博物館では展示されないので、発見現場へ行って鑑賞するほかはない。その彫像群の重量に耐える橋がその国にはないのだ。現代の起重機や積載機を使用すれば五十トンまでの小さな"一枚石"なら動かすことはできるが、こんな数百トンもある物になるとお手上げである。しかるに我々の祖先はその巨大な石像を運んだり仕上げをしたりできたのだ。どういう方法を用いたのか? 

▲ティカルの1号神殿ピラミッド。

どうやら古代人たちはまるで手品のように石の巨像をもち上げて山や谷を越えさせることに特別な楽しみを感じていたらしい。エジプト人はアスワンからオベリスクを運んだし、ストーンヘンジ(英国のソールズベリー平原にある古代の巨石柱群)の建築家たちは、大石ブロックを南西ウェールズとモールボロから持ってきたし、イースター島の石工たちはすでに出来上がった巨像を遠くの石切場から現在の位置へ移動させたのだ。

そしてティアウアナコの一枚石の巨像群がどこからもたらされたかを知っている人はいない。我々の遠い祖先は奇妙な人種であったにちがいない。彼らはみずから物事を困難にすることを好み、いつも彫像を到底考えられないような場所に建てたりする。きびしい生活を好んだためだろうか。

遠い過去の芸術家たちがそれほどバカだったと私は思いたくない。彼らは石切場のすぐ隣りにでも巨像や神殿をまったく簡単に建てることはできただろう。ところが古い伝説によって作品を置くべき場所がきめられていたのである。

私は確信するが、サクサウアマンにあるインカの要塞は偶然にクスコの上手に作られたのではなく、むしろ伝説がその場所を聖地として指定したからである。更に確信するのは、人類最古の記念碑的建物が発見された場所のすべてには、過去の時代の最も興味ある最重要な遺物がまだ手つかずのまま埋もれているということだ。しかもこれは現代の宇宙旅行の発達にはかり知れない重要さをもつものかもしれない。

太古の宇宙人飛来の証拠がまだ地中にある?

何千何万年も昔に地球を訪れた正体不明の宇宙飛行人は、我々が今日先見の明があると思っているのと同じほどにやはり先見の明があったのだろう。彼らは地球人がいつかは自発的に自分自身の技術を用いて宇宙空間へ飛び出すだろうと確信していたのだ。この惑星の人間が宇宙の中に類似の精神や生命や同じような人間を常に探し求めてきたことは、よく知られた歴史的事実である。

現代のアンテナと送信機は未知の知性体に最初の無線電波を発射した。反応を受信するのはいつか--十年、十五年、あるいは百年後か---わからない。それどころか、どの星にメッセージを送ればよいかもわからない。どんな惑星が我々に最も関心をもっているかがわからないからだ。どこで我々の信号が地球人に似た未知の知性体にとどくだろうか。これもわからない。だが我々の目標に達するのに必要な知識が地中に埋められているという確信を裏づけるものが沢山ある。

我々は重力を遮断しようと懸命に努力したり、素粒子や反物質の実験などをやっている。しかし我々がもと出てきた故郷をつきとめようとして、地中に隠されている資源を見つけようとしているだろうか? してはいないではないか。

我々が物事を文字どおりに解釈するならば、かつて非常に困難であった過去の物事の解決の多くがもっともらしいものとなる。古代の古文書の適切な糸口ばかりではなく、世界中に我々の批判的な目を向けさせている"きびしい事実"までが納得のゆくものとなるのである。結局、人間は物事を考える理性を持っているのだ。

人類の究極の悟りとは

そこで人間の究極的な悟りとは、今日まで人間が生存してきたことの正当さを悟ることと、人間が前進しようとする努力は、宇宙空間内にいる生存物とコンタクトする資格を得るには過去から学ぶことが大切だという真理を悟ることにあるのであろう。そういうことになれば、最も頑迷な個人主義者といえども、人間の仕事はすべて宇宙に進出することにあり、また人間の精神的な義務のすべては、自分の努力と実際的な体験をいつまでも続けることにあるということを悟るにちがいない。そのときになれば、地上に平和が訪れて天空への道は開かれるという"神々"の約束は実現するだろう。

>>第9章(1)へ続く

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