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  神々の戦車 エーリッヒ・フォン・デニケン

第7章(1) 古代の驚異的遺跡は宇宙旅行センターか  No.3 
 

ダマスカスの北方にバールベクという台地がある。岩石のブロックで作られた平地で、その石のなかには六十五フィート以上の長さと約二千トンの重量をもつのがある。このバールベクの台地がなぜ、どのようにして、誰によって作られたかについて納得のゆく説明をすることのできた考古学者は今までにいなかった。しかしソ連のアグレスト教授はこの台地が巨大な空港の残がいであると考えられるという。

突如出現したエジプトの不思議な大文明

▲アメン大神殿大中庭の柱廊(エジプト第19王朝)

エジプト学者たちが我々に提供しているきちんと保存された知識を控え目に受け入れるとすれば、古代エジプトは突然、しかもファンタスティックな既成の文明の移り変りなしに出現している。雄大な都市群、巨大な神殿、すばらしく表現豊かな力にあふれた巨像、見事な彫刻作品が両側にならんだ立派な道路、完璧な排水システム、岩石から彫られた壮麗な墳墓、圧倒的にそびえ立つビラミッド群---。これら多くの驚異的な建造物がいわば地中からとび出たのである。これこそ過去の歴史をもたずに突如このような偉業を可能にしたホンモノの奇跡なのだ! 肥沃な農業地帯はナイル・デルタとナイル河の両側にそった細長い土地だけである。しかし現代の専門家は大ビラミッドの建設当時の人口を五千万と推定している。(ついでながらこの数字は紀元前三千年の世界総人口と考えられている二千万にひどく矛盾する!)

こんな大ざっぱな推定なら二、三百万の誤差は問題ではない。しかし一つだけはっきりしている事がある。彼らはみな食物を必要としたということだ。多数の建設労働者、石工、技術者や水夫がいたし、数十万のドレイや装備のよい軍隊、威張った大神宮団、無数の商人、農夫、官吏、それに何よりもぜいたくそのものの暮らしをしていたファラオ(王)の宮殿などがあったのである。彼らのすべてがナイル・デルタの農業によるとぼしい収獲で生きられたのであろうか?

岩石ブロックをどうして運んだか

ビラミッドの建設に用いられた岩石のブロックはローラーで動かされたといわれる。いいかえれば木のローラーなのだ! しかしエジプト人が当時エジプトに生えていた(今でもそうだが)わずかなシュロの木を切り倒してローラーにしたとは考えられない。なぜならナツメヤシの実は食物として必要だったし、幹ど葉は乾ききった土地に日蔭を与えてくれる唯一のものであったにちがいない。さもなければビラミッドの建設に関する技術的な説明はまったくなりたたない。エジプト人は木材を輸入したのだろうか? 木材を輸入するためにはかなり大きな船団があったはずで、それがアレクサンドリアに陸揚げされたあともナイル河をさかのぼってカイロへ輸送されねばならなかったはずである。

▲ケオプス(クフ王)の大ピラミッド
@埋葬室A大回廊BC未完成の埋葬室D通路E入り口FG通気孔

大ビラミッドを建設した当時、エジプト人は馬や荷車をもたなかったので他の方法はなかったのだ。馬と車は紀元前一六〇〇年頃の第十七王朝になってはじめて導入されたのである。石ブロック輸送の納得のゆく説明をするにはここが私の独壇場だ! もちろん学者連は木のローラーが必要だったといっている。

ビラミッド建設者群の技術に関しては多くの問題があるし、しかもほんとうの解答はない。エジプト人はどのようにして岩石から墳墓を彫り抜いたのだろう? 迷路のような廊下や部屋を設計するのにいかなる物資をもっていたのだろう? 壁面はなめらかで、ほとんど浮彫りの絵で飾られている。縦坑は斜めに岩盤にくい込んでおり、それにははるか地底の埋葬室へ通じる階段がついているが、それらは最高の技術で作られている。観光客の群れはそれを驚きあきれて見つめるが、その堀さくに応用されたナゾの技術の説明はされない。しかしエジプト人が大昔からトンネル掘りの名人であったことは確実である。というのは古代の岩石くり抜き墳墓は近代のものとまったく同じほど正確に作られているからだ。第六王朝のテティの墓と新王国時代のラー・メス一世の墓とは、建設時代で一千年のへだたりがあるけれども、そこには差がない。明らかにエジプト人は古い技術を改良しようとして新しいものを学んだのではない。実際は後代の建築物が次第に古代のそれをへたにまねてゆく傾向があるのだ。客の国籍にしたがってウェリントンとかナポレオンなどと呼ばれるラクダに乗ってカイロの西にあるケオプスのビラミッドへゆられて行く観光客は、神秘的な過去の遺物によって絶えず奇妙な感じが腹の中にわき起こってくる。ガイドはファラオがここに埋葬の場所を作らせたのだと話しかける。そして客はわずかばかりのにわか仕込みの知識を身につけて、幾枚かの印象的な写真を撮ってから帰って行く。

特にケオプスのビラミッドはこれまでに数百のバカげた説を起こさせている。一八六四年に刊行されたチャールズ・ピアッチ・スミス著の"大ビラミッドの中の遺産"という六百ページの本に、このビラミッドと地球の身の毛もよだつような多くの関連記事が出ている。しかしきわめて批判的に調べてみても、その本はやはり我々に何かを考えさせる事実をいくらか含んでいる。

>>第7章(2)へ続く

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