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新アダムスキー全集

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中央アート出版社
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  神々の戦車 エーリッヒ・フォン・デニケン

第3章(2) 説明のつかない物の満ちた、ありそうもない世界
 

彼らの努力によるこの作品が非常な高空から接近しようとする"人間"たちに対するサインとして作られたものでないとすれば、その仕事はすべて無意味なものとなる。

空飛ぶ物体用のサイン?

現代の機械装置を用いないのであれば、このような仕事には数十年を要したことだろう。そうするとここで一つの刺激的な疑問が起こってくる。空中を飛ぶ人間が実際に存在したということを製作者たちが知らなかったとすれば、なぜ彼らはこのような物を作ったか、ということである。

この遺跡の正体はもはや考古学上だけの問題ではない。各研究分野の科学者から成る調査団がこのナゾの解答をもたらすかもしれない。意見の交換や討論などによって明るい見通しが出てくるだろう。科学者連はこのような問題の提議をまじめに取り上げないので、研究しても確実な結論に達しないだろうという危険性がある。時間という灰色のモヤに包まれた宇宙旅行者なのだろうか? これはアカデミックな科学者にとっては承認しがたい問題である。そのような疑問を発する人は精神病医にみてもらわなくてはなるまい。

しかし数多くの疑問がある。しかも有難いことにこの疑問類は、解答が与えられるまでは宙に浮いているという不適切な性質を帯びている。しかもそのような多くの承認しがたい疑問があるのだ。たとえば、春秋分、天文学的な各シーズン、各時間どとの月の位置と月の運動などを示す一種のカレンダーがあったとすれば、人々は何というだろう。

ティアウアナコの奇妙なカレンダー

これは単なる憶測による質問ではない。このカレンダーは存在するのである。ティアウアナコの乾いた泥の中にそれは発見された。それは我々を当惑させるような発見物である。それはそのカレンダーを作って応用した人々が我々よりも高度な文化を持っていたという反論の余地のない事実と証拠を示しているのである。

グレートアイドルのなぞ

まったくファンタスティックな発見物がもう一つあるが、それはグレート・アイドルである。この単純な赤石のかたまりは24フィート以上もあり、20トンの重量がある。これはオールド・テンプルで発見された。ここでも我々はそのアイドル(偶像)全体に刻まれた数百の紋様のすぐれた技術と正確さと、それを収容した建築物に応用された原始的な技術との矛盾を見出すのである。実際にはそれは原始的な技術のためにオールド・テンプルと呼ばれている。

H・S・ベラミ−とP・アランはその共著「ティアウアナコのグレート・アイドル」の中でその紋様のかなりうがった解読結果を載せている。彼らは、その紋様がぼう大な天文学的知識を記叙したもので、たしかに球体の地球にもとづいたものであると結論している。しかもその記録はアイドルが発見された年の五年前の一九二七年に刊行されたヘールビガーの「衛星の理論」に完全に合致していると述べている。この理論は一個の衛星が地球によって捕えられたと仮定している。それが地球の方へ引っばられるにつれて地球の自転速度を落とし、ついに分解して月になったというのである。

2万7千年前の記録

その紋様は右の理論に合致する天文学的な現象を正確に記錦している。すなわち過去の一時期において一年間を二百八十八日としたころにこの衛星が地球の周囲を四百二十五回転していたというのである。両名はこのアイドルが二万七千年前の天空の状態を記述していると結論せざるを得なかった。彼らは次のように述べている。

「全体的にみて、このアイドルの紋様は後代のための記録としてもくろまれたという印象を与えている」

ここにもたしかに"太古の神"とする以上の良い説明を必要とする大昔の物体がある。もしこの紋様の解読が正しい性質のものであるとすれば、我々は次のように質問したい。

「このアイドルに刻まれた天文学的知識は、はたして建築に関してもっと多くの事柄を知る必要のあった人々が刻んだものか、それとも地球以外のどこかからもたらされたものか?」

いずれの場合にしても、二万七千年前の洗練されたこのような知識の存在は驚くべき事である。

神秘に満ちたティアウアナコ

▲修道士と呼ばれる巨大な石像

ティアウアナコの町は神秘で満ちている。その町は一万三千フィート以上の高地にあり、どこからもかなり離れている。クスコを出発すれば汽車と船で数日間の旅の後にその町と発掘現場に到着する。そこの高原は未知の惑星上の風景のように見える。現住民以外の人にとって手仕事は苦痛である。大気圧は海面のそれの約半分で、したがって大気中の酸素も少ない。それにもかかわらず大きな都市がこの高原に存在するのだ。

ティアウアナコに関するほんとうの伝統はない。この場合、そのたしかな解答は伝統的なオーソドックスな学問という支えに頼っては得られないことを感謝すべきだろう。信じられないほどに古い廃虚全体に、過去、未知、神秘のモヤがかかっている。この廃虚がどんなに古いのかはまだわからない。

百トンも重量のある砂岩のブロック類の上に別な六十トンもあるブロックがのせられて壁となっている。おそらく正確なミゾのついたなめらかな表面が、鋼のハシバミで互いにつながれた巨大な四角石と接している。しかも、あらゆる石細工がすばらしくきれいに作られているのだ。八フィートの長さの穴(複数)が---その目的はまだわからない---十トンもあるブロック類の中に見られる。また一個の石から切り取られた十六フィート半の長さの古びた敷石も、ティアウアナコが隠しているミステリーの解決に役立っていない。

▲壁を飾る奇妙な人面像。

長さ六フィート、幅一・二フィートの石造の水道管が、オモチャのように地面に散らばっているのが見られる。明らかにすさまじい大変動によるものだ。当時の住民の正確な技術によるこうした発見物は我々を驚かせるのである。こうした物とくらべると現代のコンクリートの水道管がまるで不器用者の製品としか思えないような正確さをもつ水道管を作りながらティアウアナコの住民は年月をすごすこと以外になすすべがなかったのだろうか。

現在復旧されている庭の中には、石像がどたまぜになっている。よく見るとこれらはきわめて多数の種族から成っているように思われる。それらの顔のなかには薄いくちびる、ふくれたくちびる、長い鼻、カギ鼻、優美な耳、厚い耳、おだやかな顔つき、角ばった顔など、さまざまである。また頭に奇妙なヘルメットをかぶったのもある。こうしたわけのわからぬ石像群は、頑固さと偏見によって理解が妨げられているけれども、結局は我々が現在も今後も理解できないメッセージを伝えようとしているのだろうか。

驚くべき太陽の門

▲南米のティワナコにある太陽の門

南米の大きな考古学上の驚異の一つは、ティアウアナコの一枚石の「太陽の門」である。これは高さ約十フィート、幅十六フィート半ある巨大な彫刻で、一個のブロックから刻まれたものである。この石細工の重さは十トン以上もあると推定されている。三列にならんだ四十八フィート平方の像(複数)が、一人の空飛ぶ神をあらわした人間のそばに立っている。

神秘的なティアウアナコの廃虚に関して伝説は何を語っているだろうか? それは星々からやって来た一機の黄金の宇宙船について語っているのである! 

それに乗ってオルヤナという名の一人の婦人が、地球のグレート・マザーになる仕事を遂行するために来たというのだ。オルヤナは四本の指しか持っておらず、それはもつれていた。グレート・マザーたるオルヤナは七十人の地上の子を生み、それから星々へ帰ってしまった。

たしかにティアウアナコには四本の指を持つ人間たちの岩に刻まれた線画が見られる。その時代はわからない。我々に知られているいかなる時代の人といえども、ティアウアナコが廃虚にならい頃の状態を見た人はないのだ。

一体どんな秘密がこの都市に隠されているのだろう? 他の世界からもたらされたいかなるメッセージが、このポリビヤの高原で解決を待っているのだろう? この文化の始まりや終りに対するもっともらしい説明はない。もちろん、このことはこの廃虚の遺跡が三千年前のものであると考古学者たちが大胆な自信に満ちた断言をすることを妨げるものではない。彼らは二個のつまらぬ小さな粘土の像からこの年代を割り出しているが、これはたぶん一枚石の年代と何の関係もないだろう。彼らは二、三個のこわれた古い陶器の破片をくっつけ合わせたり、二、三の隣接した文化を調査したり、修復された発見物にラベルをはったりする。そうすると、またもあらゆる物が見事に一般の通念にあてはまるのである。しかしこの方法は、不思議な技術があったのかもしれないという考え方、遠い過去に宇宙旅行者が来たのかもしれないという考え方などをあえて起こすことよりも、はるかに簡単なことである。それは不必要に問題を複雑にすることになるだろう。

サクサウアマンの巨石のナゾ

また我々はサクサウアマンを忘れてはならない! といって私は現在のクスコに数フィートそそり立つすばらしいインカの堡塁のことをいうのではないし、また百トン以上もある一枚石のブロック群や、旅行者が前に立って記念撮影をやっている長さ千五百フィート、幅五十四フィート以上もあるテラス壁のことをいうのでもない。私がいうのは、よく知られたインカの城塞からわずか半マイルのところにある未知のサクサウアマンなのである。

我々の想像力では、祖先たちが石切場から百トン以上もある一枚岩を切り出してそれを運び、遠い場所でそれを工作するのに、どんな技術を用いたかを考えることは不可能である。

しかし我々が推定二万トンの重量の岩に出会うとき、現代の技術的進歩によってなれてしまった我々の想像力は大ショックを受けるのである。サクサウアマンの城塞から帰る途中、数百ヤード彼方の山腹のクレーターの中で見物人は奇怪な物に出会う。それは四階建の家ほどの大きさの単体岩石である、それはまったく見事な技術によって非の打ちどころのないほどに仕上げられているのだ。それには階段や傾斜路がついており、ら施状の線や穴などで装飾されているのである。どうみてもこの先例のない石ブロックの作りは、インカ人たちの単なる遊び仕事ではない。どうみてもそれは説明のつかない目的のために使用されたとしか思えないのである。ナゾの解決をもっとむつかしくするのは、この巨大な岩全休がさかさに立っていることである。

したがって階段は頂上から下方についており、手榴弾の刻み目みたいに多くの穴が異なる方向にあいているし、イスのような形の奇妙なくぼみ類が空間に浮かんでいるように見えるのである。人間の手によって、人間の努力によって、このブロックを掘り出して運び、仕上げたとは、一体だれが想像できるだろう。いかなる力がこれをひっくり返したのか?いかなる巨大な力がここで働いたのか? そして何の目的で? 

この石の怪物で仰天しているうちに、見物人は約九百ヤード彼方で岩が一種のガラス化したものを見るが、これは非常な高温で石の溶解したものとしか思えない。驚いている見物人はその場でこの岩が氷河によってできたものだと説明されるが、これはバカげた話である。

流れ行くかたまりに似た氷河ならば理論上は一方向へ行くだろう。この特性がガラス化が発生した当時に変化したとはとてもありそうもないことである。とにかく、氷河が一万八千平方ヤードの地域一帯にかけて六種類の異なる方向に流れたとは、ほとんど想像できないことである! 

サクサウアマンとティアウアナコは多くの先史時代のミステリーを秘めており、それに対して浅薄な、しかもまったく納得のゆかない各種の説明が流れている。その上、ゴビ砂漠とイラクの古い考古学的遺跡付近には、砂のガラス化したものも発見されている。この砂のガラス化物質がネバダ砂漠の原爆実験によって生じた物質と似ている理由を説明できる人がいるだろうか。

いつになったらこの先史時代のナゾに対する納得のゆく解答を与えるための決め手が出てくるだろうか。ティアウアナコには大きすぎて不格好な丘があり、その頂上は八千平方ヤード近くの面積にわたって完全な平面がある。その下に建築物が隠されていることは容易に考えられることである。

今までこの一連の丘にトレンチが堀られたことはないしミステリーを解くための作業も行なわれてはいない。明らかに金がとぼしいのである。ところが旅行者はときどき何か役立つ仕事はないかと手持ぶたさでいる兵隊や将校などを見る。この兵隊たちに専門家の監督のもとに発掘をやらせてもわるくはないだろう。

金というものはこの世で多くの物を得るのに役立つ。未来のための調査はきわめて重要である。我々の過去が未発見であるかぎり、未来のための入口はブランクのまま残っている。技術的な解決はすでに太古に存在したからというので、過去はその解決に我々が到達するのを助けてはくれないのだろうか。

>>第3章(3)へ続く

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