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  神々の戦車 エーリッヒ・フォン・デニケン

第1章 宇宙には知的生物がいるか UFOと宇宙 コズモ 創刊号 1973年 
 

二十世紀の世界市民たる我々だけがこの宇宙で唯一の生ける人類ではないと考えられるだろうか。別な惑星からきたコピトが地球の博物館に陳列してないために、「この地球こそ人間の住む唯一の惑星だ」という答はいまだに合理的で納得のゆくもののように思われている。しかし最近の諸発見や研究などによって出てきた諸事実の慎重な調査を行なうとともに、多くの疑問が次々とわき起こってくる。

澄んだ夜に肉眼で見ると、約四千五百個の星が見えると天文学者はいう。小さな天文台の望遠鏡でさえ約二百万個の星を見させてくれるし、近代的な反射望遠鏡ならば更に無数の星々から来る光をとらえる。銀河系の光点である。

だが宇宙の巨大な広がりの中では我々の銀河系は比較にならぬほどの膨大な島宇宙群の中の微小な一部分にすぎない。すなわち百十万光年の半径内に約二十個の銀河系群を含むのである。(一光年とは一年間に光が進行する距離である。つまり、186,000×60×60×24×365×マイルなのである)しかもこのような膨大な星群すらも、電波天文台で発見された無数の螺旋状星雲と比較すれば微小なものである。現在までに発見されているところからみて、私はそのように強調したい。というのはこの種の研究はまだ始まったばかりにすぎないからだ。

天文学者のハ一ロー・シェプレーの推測によれば、我々の望遠鏡の視野内には10の20乗の星があるという。シエプレーが、一惑星系を一千個の星々の中の唯一のものと考えるならば、きわめて用心深い推測であるとみてよい。この推測にもとづいて考え続け、一千個の星の中の唯一の星のみに生命に必要な条件があると思い続けるならば、この推測はなおも10の14乗という数字を生み出すのである。

シュプレーは次のような疑問を発している。「この天文学的な数字において、一体どれだけ多くの星が生命に適した大気を持っているだろうか?」

このことは生命にとって第一の要件を持つ星が10の11乗あるという信じがたい数字を出すことになる。この数字から一千個目の惑星だけが生命を作り出したと仮定しても、やはり生命が存在すると推測してよい星が一億個はあることになる。この計算は現代の科学技術を応用した望遠鏡にもとづいているが、これは絶えず変わっていることを忘れてはならない。

生命を持つ惑星存在の可能性

生化学者のスタンレー・ミラー博士の仮説によれば、生命にとって欠くべからざる条件は地球よりもこれらの惑星のどれかでもっと急速に発達していたかもしれない。この大胆な仮説を認めるとすれば、地球よりももっと進歩した文明が十万個の惑星で発達していたかもしれない。

▲1965年10月21日に米国ミネソタ州セントジョージ付近で保安官のアーダーー・ストラウチが撮影したUFO。

科学ものの高名な作家でヴュルナー・フォン・ブラウンの友人である故ウィリー・レイがニューヨークで次のように私に語ったことがある。

「我々の銀河系中の星の推定数だけでも三百億に達する。この銀河系が少なくとも百八十億個の惑星系を含んでいるという仮定は、現代の天文学者が認め得るものと考えられる。もし問題の数字をできるだけ減らそうとして、各惑星系間の距離がきわめて制限されているために百個の惑星系中の一個のみが太陽の周囲で軌道を描くと仮定しても、なおかつ生命維持の可能な一億八千万個の惑星が残ることになる。

更に仮定して、生命を維持するかもしれない百個の中の一惑星のみが実際に生命を持つとすれば、それでも生命を持つ百八十万個の惑星群が存在するということになる。更に仮定して、生命を持つ百個の各惑星の内、人間と同じ知的水準にある生物のいる惑星が存在するとしよう。するとこの最後的な推測は我々の銀河系に一万八千個の人間の住む惑星がいるという結果を出すのである」

最新の計算によれば我々の銀河系中には一千億の恒星があるというからには、レイ博士の推測をはるかに超えた高い確率が示される。

イメージを高めよう

ファンタスティックな数字をあげたり、または未知の銀河系を考慮に入れたりしなくても、我々は地球の生命に類似した生命を持つ、地球に比較的近い惑星が一万八千個もあると仮定してよいだろう。しかもこの一万八千個の惑星の一パーセントが実際に人間を住まわせているとしても、なおかつ百八十個の惑星が残ると推測してもよいのだ! 

地球と同じような惑星 ― 同じような大気の成分を持ち、同じような植物、同じような動物を持つ惑星群の存在については凝いの余地はない。しかし生命を維持する惑星群が地球のそれと同じような条件を持つことは欠くべからざることだろうか。

地上の条件下でのみ生命が栄え得るという考え方は、研究によって時代遅れとなっている。水や酸素なしでは生命は存在できないと信ずるのは誤りである。我々の地球上でさえも酸素を必要としない生命体があるのだ。それは嫌気性バクテリアと呼ばれる。一定量の酸素がそれに毒の働きをするのである。酸素を必要としない高度な生命体が存在してはならないということはない。

日々得られる新しい知識の圧力下で、我々は自分のイメージを最先端にまでもってゆかねばならない。どく最近まで地球上で集約された科学的な調査の結果、我々のこの惑星を理想的な惑星として賞賛している。暑からず寒からず、豊富な水を持ち、無限の酸素があり、有機的なプロセスが絶えず自然を若返らせている。

実際、地球と同じような惑星上にのみ生命が存在し発達し得るとすれば、それはおかしなことである。地球には二百万程の生物が住んでいると考えられている。もちろん − これはあくまで推定だが − 百二十万種が科学的に"知られている"のだ。そして科学的に知られているこれらの生命体のなかには、現代の考え方に従えば当然生きることのできないものがなお数千種もいるのである。生命に対する種々の前提を考え直して新たに調査しなければならない。

たとえば、人は強い放射能を持つ水は細菌の影響を受けないと考えるだろう。しかし原子炉の周囲をとりまく致命的な水に自分を順応させ得るある種のバクテリアが実際にいるのである。生物学者のサンフォード・シーゲル博士にょって行なわれた実験は奇怪なものに見える。

彼は自分の研究室で木星の大気の状態を作り出し、この空気の中でバクテリアと小虫を培養した。この空気は我々がこれまで"生命"に対して考えてきた必要条件のいずれをも含んでいないものである。しかしアンモニア、メタン、水素などはバクテリアを殺さなかった。

ブリストル大学の実験

ブリストル大学の昆虫学者ハワード・ヒントン博士とプラム博士による種々の実験はともに驚くべき結果を出した。両科学者は摂氏百度の湿度で数時間ブヨを乾燥させたのである。そしてその後ただちに彼らは液体ヘリウム中にその"モルモット"を浸した。よく知られているようにその液体ヘリウムは、宇宙空間と同じほどに冷たいのである。強烈な光線をあてた後、彼らはブヨを普通の生きた状態にもどした。そのブヨは生物学的な生きた機能を持ち続け、完全に健康なブヨとなったのである。

また我々は火山の中に住むバクテリアや石を食うバクテリア、鉄を生み出すバクテリアなどについても知っている。疑問の種はふえるばかりだ。

多くの研究センターでさまざまの実験が行なわれている。生命というものは生命体にとって全然必要条件ではないという新しい証拠が絶えず出ている。長い時代を通じて世界は地上の生命体を支配する諸法則や諸条件の周囲を回転しているように思われた。この確信は我々の物の見方をゆがめてぼかしてしまった。それは、宇宙を見るときの人間の思考の標準や大系などを遠慮なく受け入れていた科学研究者たちの目をふさいでしまったのである。画期的な思想家であるテイラール・ド・シャルダンは、ファンタスティックなものだけが宇宙で貞実であるチャンスを持つといっている。

我々の考え方が別な工合に働くとすれば、別な惑星の知的生物は彼ら自身の生活条件を標準的なものとみなしていると言うようになるかもしれない。もし彼らが摂氏マイナス百五十度ないし二百度の湿度下で生きるとすれば、我々が知っているような生命にとって破壊的なそのような湿度が、別な惑星では生命にとって根本的に必要なのだと彼らは考えるだろう。それは我々が過去の暗黒を照らすのに必要な論理に釣り合うことになる。

ユートピアは現実化する

我々は理性的で客観的であるためには自尊心に頼っている。どうにかすると大胆な説がユートピアであるように見える。この多年のあいだ、なんと多くのユートピアが日常の現実になったことだろう! もちろんここで述べられる実例は最も不自然な可能性を指摘するつもりで書かれたものである。しかし我々が現在考えつくことさえできないような、ありそうもない物事がひとたび事実だと示されるや、障壁はくずれ、宇宙がいまだに隠しているもろもろの不可能事に自由に近づけるようになるのだ。

未来の世代は宇宙の中でまだ全然夢想もされなかったあらゆる種類の生命を見出すだろう。たとい我々がそこにいて見なくても、彼ら世代は自分たちが宇宙において唯一の、しかも最も古い知的生物でないという事実を認めるだろう。

宇宙は八十億年ないし百十二億年の年齢を持つと推定されている。我々の顕微鏡下にはイン石が有機物質の痕跡を示している。数百万年昔のバクテリアが目覚めて新生する。浮遊する胞子が宇宙を横断し、ときには惑星の引力によって捕えられる。数百万年のあいだ絶えまのない創造のサイクルの中に新しい生命が発達を続けている。

世界中のあらゆる種類のテストにより、地球の地殻は約四十億年前に形成されたことを証している。そうだ。科学が知っているのは人間らしきものが百万年前に存在したということだけである! その巨大な時の流れから、莫大な労力、多数の冒険、大変な好奇心をついやして、七千年の人類史という微小な小川をなんとかしてせきとめた。だが宇宙の悠久の歴史にくらべれば七千年の人類史は何だろう。

未来の夢は宇宙にある

創造物の模範(?)である我々人間は、現在の状態、現在の発達に到達するのに四十万年を要している。他の惑星が類似の人類の発達に必要な都合のよい条件をもっと与えてくれなかった理由を示す具体的な証拠を一体誰が作り出せるだろうか。地球人と同等かまたはそれ以上にすぐれた他の惑星上の"競争者"を我々は持ってはならないという何らかの理由があるのだろうか。我々はこのような可能性を放棄する権利があるのだろうか。地球人は現在までその可能性を放棄してきたのだが −。

我々の知恵という柱石が崩壌してホコリと化したことが何度あったことだろう! 数百年ものあいだ人々は地球が平たいと考えた。

太陽が地球の周囲をまわるという鉄壁の法則は数百年間も真理とされてきた。そして今もなお人間は自分たちの地球こそ万物の中心であると確信している。しかるに地球は銀河系の中心から三万光年の取るに足りぬちっぽけなありきたりの星にすぎないことが立証されている。

今や無限の未探険の宇宙でもろもろの発見を行なうことによって、人間の取るに足りない存在を認める暗が来た。そのときこそ、我々は広大な宇宙の中のアリにすぎないことを悟るだろう。しかも我々の未来と多くのチャンスは宇宙の中に存在している。その宇宙こそ"神々"が約束された場所なのだ。

我々が未来をのぞき込んでこそ初めて強く大胆になって、みずからの過去を正直に公平に探求するようになるだろう。

>>第2章へ続く

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